刺身の上にたんぽぽ乗せる日記

プログラミングしたり、自販機の下に落ちてる小銭を集めたりしてます

電波男

電波男

電波男

読み終わった。
恋愛資本主義の世界と二次元世界の純愛を比較して、「これからは二次元」と言っているような内容だ。正直あまり同意できない。
「アスカさまハァハァ」とか言うことはないし、別に恋愛資本主義万歳と言っているわけではない。単純に恋愛とかそういうものに対するモチベーションが高くないだけだ。
で、考え直してみると、この本では心の支えという位置づけで愛が必要と論じている割には、その1要素である恋愛という軸を純粋(二次元)と不純(恋愛資本主義)の二極で議論しているだけであり、家族愛、友情などの別要素に対する議論がほとんどない。二次元世界が家族愛を求める、という話が出た割には現実世界において家族愛、という話が出なかったのは「近年の家族が崩壊して」とかの一言で済まされているような気がする。

じゃあ自分はどうなのか、というと彼女はいないし、家族ともそれほど密接なわけではない(仲が悪いわけじゃないんだけど)。友人と休日に何かすることもあんまりない。ってことは同僚が楽しいからかね。性欲は全然解消されてないけど。

読んで酷く感じたのだが、俺はこの本で言うところのオタクではない。大量の漫画を読み、大分エロゲーをやってきたが、ある特定のキャラに惚れた、ということは未だない。
「さすがはディオ!俺達に出来ないことを平然とやってのける、そこにしびれる!あこがれるゥ!!」
とかは思うことはあっても、
「ところで・・・・・おれは全力であなたのお嬢さんを守ります。すでにのっぴきならない事態に陥ったようだが この闘いは生き抜く・・・・・・・だからお嬢さんとの結婚をお許し下さい」
とか思ったことは無い。いや、ジョジョを例に出すのが間違ってるんだけどさ。

なんつーか、根本的に「恋愛が必要」という強迫観念が恋愛資本主義の仕掛けであり、結局は二次元への旅立ちも電通博報堂の手のひらからエロゲー・ギャルゲーメーカーの手のひらに移っただけだろ。
ギャルゲー・エロゲーメーカーはこの本でも述べられているように適当な「幼馴染系」「ツンデレ系」「委員長系」などの萌え要素を適当にばらまいてオタクから金を搾取している。このキャラクターの作り方は最早物づくりの理論ではなく、マーケティングの理論である。要するに、「これがあればあなたもモテモテ」と煽る恋愛資本主義と、「ほら、お前らが好きな眼鏡っ娘だぞ」とどの作品も似たようなキャラクタばかりでているエロゲー・ギャルゲーは仕掛けは大差ない。悲しい。